日本統文化―茶道を体

日本の伝統文化と言われる茶道は、豊臣秀吉の時代に千利休から始まったと言われており、400年以上の長い歴史がある。

茶道に縁があって、少しずつ学び始めてからもう3年目になる。 正座をして生活するのに慣れていないため、私には長い間正座をしたまま習う茶道は忍耐力が必要だ。又、お茶を飲む前に甘いお菓子を食べなければならないが、私は甘いものが苦手だ。その上お茶の味がまだよく分からないのでお茶を習っている方と話が合わないことが多いのが事実だ。

茶道1

だが、お茶でお客様をもてなす過程、すなわち茶道は一つの芸術だと思う。 手の動きひとつひとつに無駄がなく、自然界に何かを求める求道者の姿が連想されることもある。

多すぎず、少なすぎず。完璧ではないにも拘らず、とても満たされたように感じる。つまりワビ、サビの日本人の精神が宿っているのだ。

ワビとサビとは、あまりにも完璧であると人間が追求する部分が無くなるので、少し足りないようではありながらも、完成を追求するような心的、精神的な隙を意味する。

茶道は “もてなし” に最善を尽くすので、論語で出てくる “一期一会”、 つまり一度の縁に最善を尽くすという意味が茶道の中に入っているのだ。

茶道2

現代人は忙しくせわしいため、長い年月をかけて伝わってきた伝統にも関心を向ける暇がないようだ。茶道が次第に衰退を迎えているようで惜しいが、それでも伝統を黙々と繋げていく日本人の姿を見ると心がいっぱいになることがある。

何日か前、茶道会に参加した。 経験が浅いので直接お茶を点てることはなかったが、お茶を運ぶ手伝いをした。 単にお茶を提供するため持ち運ぶのではなく、一歩ごとに、ひとつひとつのことに神経を使わなければならない。慎ましやかに誠意を尽くして礼法に従ってしなければならないので、少し練習が必要だった。

茶道3

静かで厳かな雰囲気の中、最善を尽くして一杯のお茶でもてなし、その真心に礼を尽くして受け取るお客様の姿に、“尊重と思いやり” には “心と習慣” が大切なのだと感じるようになった。

ひとりひとりが各々の役割を果たし、一日中お茶のおもてなしをした。 終わる時にはそれまでの疲れがどっと押し寄せてきたが、それでも長い間準備してきた行事を無事に終えたという思いに、皆満足感を感じる一日だった。

秋には自然と親しむ雰囲気を一層満喫できる三渓園で行われるというから、楽しみだ。