コロナ19
講義中学生達によく「発酵と腐敗の違いが何か?」と質問をすることがあります。学生達は頭を捻りながら、大部分は「発酵は食べられるもの、腐敗は食べれないもの」と答えます。正しい話です。

 韓国には一部の人に絶大の人気を誇る「ホンオ」というエイを発酵させた発酵食品があります。ところが、外国人はアンモニアの臭いのひどい腐った(?)食品と考えます。日本の納豆も健康に良い発酵食品ですが、外国人は「ひどい足の臭い」と似ているように感じるのか、びっくりするくらい嫌がることが多いです。わたしも初めは納豆の臭いを嗅いでショックを受ける程でしたが、今では好きな食品の中の一つとなりました。勿論同じ日本人だとしても東京の近辺の方は納豆が好きな場合が多いですが、関西地方ではそんなに好かれないこともあります。

納豆

発酵と腐敗は極端に人間的な観点から見ることであり、一言で言えば両方とも腐ることですが、人間の為になるのが発酵で人間の為にならない時には腐敗と言うのです。只、発酵と腐敗は地域や民族、国の認識によって違ってきます。つまり見る観点によって変わってくるのです。

発酵と腐敗発酵と腐敗

昨今、全世界的にコロナの影響を受けており、人間の力が限りなく小さく感じられます。物質と文明が発達して甚大な国力を持つ西洋の先進国が目にも見えないウイルスにお手上げ状態で、多くの命が失われている状態です。

きっと遠くない未来にコロナの状況がどの様な形態であっても、安定期を迎えることと思いますが、予測出来ない未来の前に不安が居座っている状態です。

コロナ19コロナ

地球を万物の母として見つめるガイアの観点で見たなら、ガイアはすべての動植物が各自の領域でお互い有機的な関係を持ちながら結局はひとつの生命体としての役割を果たすように願っているはずだと思います。

ところが何か一つの存在が自分勝手に領域を超えて一つの生命体を構成するのを脅かす状況になったなったなら?

ガイアの立場から見た時人間はどんな存在に見えるのか?

何日か前に、Facebookで興味深い表現を見かけました。

地球ガイア

「地球の立場で見ればコロナは人間に対するワクチン」というもの。人間の観点で見るならばコロナは腐敗のイメージではあるけれど、ガイアの立場では発酵になるのではないかというのです。

全世界的に対面している深刻な暗鬱な現実に心が痛みながらも、一方では希望を抱いて生きています。この状況というのは、「共によりよく生きていこう」というガイアの哀切な叫びであり願望であり絶叫とも感じられ、一方では心の余裕が生まれてきつつもあります。

ガイアに生きる私たちは時には遅くなることもありますが、いつも様々な状況に対応しながらガイアと共に生きてきましたから。

 公園

週末には広い公園を一日中散歩して過ごしました。

いつでも母なる大地は知った事ではないというかの如く、とても暖かく受け入れてくれました。

輝く緑、羽ばたく鳥、永遠に離れる事のできない母の懐。