的時間と心の時間-心の時間旅行

 

時間はいつも前に向かって流れっていくものだと思っていた。 ところが20代前半にイチャク〮ベントプの”宇宙心と精神物理学”を読んだ後に考え方が変わり始めた。

決まった枠組みの中で過去、現在、未来に流れる過程を客観的な時間という。 そして考えたり、想像の中で心が漂っている空間があるが、それが自分の人生と人間関係を左右することになる、心の時間だ。

鉄道

 

時空間を超越した旅行

 

主観的な時間と、客観的な時間の意味を言語的に区分できなかった幼い時代には、心の時間(主観的時間)は無限にあった。 体は部屋の片隅で横になっていながら、心は家を離れ、隣の家を超えて村に行ってきたり、続いて故郷のチンド(珍島)を離れ、光州(クァンジュ)、ソウルまでも何度も行ってきたりした。 こうした旅は単純な空間旅行にとどまらず、時間をも越えて遠い過去と未来への時間旅行につながった。

盆踊り

 

時代、立ち止まった柱時計

 

留学したり外国で暮らしたりすると、主観的な時間が断絶、ないし停止するように感じるとよく言われる。

97年に日本留学をする時は20代後半だった。 韓国国内で一通りの社会生活をしたことがなかったので、知人や友達皆が卒業と同時に別れたその当時のそのままの姿で記憶されていた。 今のようにSNSが発達してなかったので、二日程度遅れて読む韓国新聞が 韓国の社会との唯一のつながりだった。

留学を終えて韓国に帰ってきた私にとっては友達や知人たちに対する以前の出来事は、まるで昨日のことのようだった。私を除いた全員が6年前の姿のままで存在していた。

日常の客観的時間は相変わらず滞りなく流れていたが、私の中の主観的時間だけが止まっていたのだった。

大岡川

 

止まらないだろう、柱時計

 

再び外国生活を始めるようになった。

再び心の時間が停滞したままになるか、どうかは分からない。おそらく、主観的、客観的時間はごく自然に通過するように思える。 それは以前とは異なり、発達したSNSのおかげだ。

スマートフォンを通じて、所属したたくさんの団体や集まりの事情を、リアルタイムでのぞき見ることができ、即座に文字を送ることができる。話がしたいならばお金の心配をすることなく、いつでも通話が可能なためだ。

また、このようにブログを通じて一方通行と、双方通行のコミュニケーションも可能なので、主観的時間の停滞はないのではないかという確信を持てる。

うつわ

 

再び旅に

 

1日24時間、1カ月31日、1年12カ月から成る固定された時間といつでも気ままに想像の翼を広げられる違った時間があるので、私達の人生はそれでも豊かであり、余裕があるのではないだろうか?

 

日曜日の明日は正座をして日本茶道という400年前の伝統を味わう心の旅行に出る。 こらから体験するであろう時間旅行のことを考えるだけでワクワクしてくる。

茶道